基礎知識

2013年2月 4日 (月)

インターネットと部落差別

ブログを読んでいる皆さんならわかると思いますが、現代ではインターネットが普及し、様々な情報がリアルタイムで流れます。ただ情報を得るだけでなく、ブログを書いたりツイッターでつぶやいたり、Facebookで友達を見つけたりして情報を発信することもできます。

では、インターネットという媒体において、部落差別はどのように関わっているのでしょうか。

残念ながら、筆者の私感ではいい面よりも悪い面が多いと思います。まずは悪い面から考察していきます。

インターネット黎明期に流行った掲示板は、時として差別的な書き込みをされることがありました。筆者は「◯◯町は部落」「エッタは死ね」などの悲しい書き込みをいくつも見ました。現代では公の出版物でこのような差別表現が掲載されることがない分、抑制の利かない個人運営の掲示板での差別表現は筆者にとってきつかったです。

いちばんひどいのが2ちゃんねるの人権問題板です。馬鹿馬鹿しいのでリンクは張りませんが、2ちゃんねる独特の人を馬鹿にする語り方から、終始差別的な表現で書き込みが行われます。被差別部落の地名を特定するような書き込みだけは削除されますが、他は差別発言があっても残ったままです。

筆者は、2ちゃんねるの人権問題板のように、差別の温床となる媒体は廃止すべきだと考えます。いくら言論の自由があるとはいえそれは公共の福祉の範囲内に限られます。差別的な発言は許されません。差別的な発言をする場を与えるのも問題です。

差別発言は匿名の媒体に多いです。筆者はTwitterで「部落」などの単語で何度か検索をかけてみましたが、残念ながら半分くらいが差別発言でした。一方Facebookでそのような発言は全く見られません。Twitterのような匿名が許されるツールは差別発言防止のために閉鎖しろとは言えませんが、差別発言をするアカウントを凍結するなどきちんとした運営をするべきです。

一方で、いい面もあります。一つは情報がより手軽に手に入れられるようになったことです。部落解放同盟の文献なんて普通の人間はまず手に取りませんが、いまはホームページを見ることでいろいろ知ることができます。時間もお金もかかりません。

何より筆者がインターネットに期待しているのは、大衆による差別のチェックです。
この前の週刊朝日・佐野眞一氏の差別的な記事がそうでした。部落差別はタブー視されているため、初めはそれを咎めようという声は非常に少なかったのですが、橋下徹氏が自身のツイッターで言及してからたちまち『炎上』し、編集長引責辞任まで発展しました。

このように、これまでは部落解放同盟が行なっていた『糾弾』を大衆が請け負い、小さな差別も見逃さないようにすることが可能なわけです。
残念ながら部落解放同盟は閉鎖的な団体と言わざるを得ません。かつて民主党の松本龍元復興大臣が問題発言をした時、大手メディアはバックにある部落解放同盟を恐れてまともに報道しませんでしたが、地元誌が怒りのあまり発言を公開、その後ネットで彼への非難が広まりました。この事実から、部落解放同盟は自分に近い人間がうっかり差別的な発言を行なっても、糾弾しない可能性があると筆者は考えています。

インターネットはもう現代の大衆にしっかり浸透してしまったので、今更やめるわけにはいきません。悪いところはしっかり但し、いい所はしっかり利用するのが大切だと思います。

2013年2月 3日 (日)

被差別部落の遺伝子は劣っているのか?

よく、部落差別が起こった時、「部落民は遺伝子が劣っているから、能力が低い」とか言われます。現代の社会通念上、このような考えは許されませんが、間違った知識をちゃんと正すため、一度は学問的に考察してみようと思います。

結論から言うと、遺伝子が劣っているから部落民の能力が低いというのは間違いです。獲得形質は遺伝しないからです。

これは中学で習うはずなので、わざわざ説明する必要はないのかもしれませんが、先天的な遺伝、つまり親からの遺伝はありますが、後天的に獲得した形質はその人の環境によって変わります。ですから、親からの遺伝がその人の能力を決めるわけがありません。

というわけで、生物学的にも部落差別は間違っています。
部落差別とか以前に、親が劣っているから子も劣っているという考えは大きく間違っています。

...ちなみに、筆者は「ゆとり世代」なので、中学のとき遺伝を習っていません。だから先ほどわざわざ勉強しなおしました。

2013年2月 2日 (土)

被差別部落のホルモン食

かつての被差別部落は皆お金を持っていなかったので、肉や魚を購入することは困難でした。そこで、普通はあまり食べられないホルモン食が進みました。

ちなみに、ホルモンの語源は『放るもん』(関西弁で捨てるもの)という俗説は間違いだそうです。『トリビアの泉』でやってました。

地域によっていろいろ違いはありますが、ここでは筆者の知っているものを説明します。

一番有名なのが、ホルモンを無造作に塩ゆでしたものです。筆者の地域では『いりかす』と呼んでいました。いわゆる『センマイ』『ミノ』『シロ』と呼ばれるホルモンが同時に塩ゆでされたものです。見た目は気色悪く、硬いし、けっこう臭うのですが、味はしっかりしていて酒の肴などには最適です。ただ(かつての被差別部落のように)主食にするのはちょっと、と筆者は思います。
かつては精肉工場から被差別部落にトラックが来て「一カン◯◯円!」と投げ売りしていたそうです。

それから、筆者の知っているものに『肉ようかん』というものがあります。これは牛から出るゼラチンでホルモンを固めたものです。筆者は一度だけ目にしたことがありますが、外観だけでも脂ぎった感じが伝わってきて、食べられませんでした。

現在では、皆さんご存知の通り、ホルモンは焼肉で有名です。とくに牛の全頭買い(コストを抑えるため、牛をまるごと一頭買い取ること)が流行ってからは、全ての部位を売るためにホルモンも普通にメニューに加わるようになりました。焼肉屋のタレはホルモンをおいしく食べるようにできています。『いりかす』ばかり食べていた筆者は、情熱ホルモンでいろいろなホルモンを食べて「こんな美味しい食べ方があったのか」と、少し感動しました。

というわけで、ホルモン食は被差別部落の伝統的な食文化です。しかしながら、ホルモンを食べたいだけなら、『いりかす』や『肉ようかん』をわざわざ探さなくても、情熱ホルモンに行ったほうが早いし美味しいです。

2013年1月29日 (火)

被差別部落問題と日本国憲法第十四条

『部落差別をしてはいけない』というのは、このブログを読んでくださっている方ならわかっているかと思いますが、法的根拠はあるのでしょうか?

実はちゃんとあります。憲法十四条にちゃんと記載されています。以下、全文を引用します。

  1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
  2. 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
  3. 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

この条文において、被差別部落問題に関連するのは、「社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という部分です。

『門地』という言葉はあまり聞きなれないと思いますが、これは『家柄』という意味です。この『門地』という言葉は、松本治一郎など部落解放活動家の強い要望で挿入されたと言われています。たまに『門地』という言葉を『出身地』と解説する人がいますが、そのような意味はありません。あまり使われない言葉のため、推測で意味を語られる事が多いようです。

なぜこの条文を持ち出してきたのかというと、現代社会は『法の支配』、つまり法治によって動いているからです。現代国家において、全てを律するのは法律です。過去の絶対王政などの独裁政治で、いわゆる人治の暴走が反省され、変わりに法を絶対的なものとするようになりました。

ですから、筆者がどれだけ『部落差別はいけない』と言っても、法で定まっていなければ無意味なのです。

ただし、憲法は民法や刑法などと違い、破ったところで何の処罰もありません。憲法は上位法であり、民法や刑法を制限しています。そして民法や刑法が国民を制限します。部落解放同盟の推薦する「部落解放基本法」や、「人権擁護法案」が提案されるのは、たんに憲法だけでなく、民法や刑法によって部落差別を刑事罰で抑えるという意味があります。いまのところ、部落差別を罰する刑法はありません。

そういう訳なので、『どうして部落差別をしてはいけないの?」と問われ、うまく説明出来ないときは、憲法十四条を紹介するのも一興かと思います。

2013年1月26日 (土)

被差別部落を意味する様々な隠語

被差別部落住民を差す蔑称は、ずっと昔から存在しました。古くは江戸時代の身分である
穢多』
がそのまま使われていました。ただし、穢という字が難しいため、『エタ』あるいは『エッタ』と記述されることが多いです。

解放令が出された後、『エタ』という呼び方は差別であるとして、使わないように行政から指導がありました。その後、被差別部落を差す言葉は様々に変化しました。
例えば、『新平民』という言葉があります。解放令で新しく平民になった、という意味ですが、この呼び方は「他の平民に比べて劣っているように聞こえる」という非難もあれば、逆に被差別部落住民が好んで使う場合がありました。最終的には「差別的だ」という結論に達し、「新平民」という呼び方は廃れて行きます。現代では、『新平民』という呼び方はほとんど使われません。
その後、『特種部落』あるいは『特殊部落』という呼び方が一般的になりました。これが部落の語源とも言えます。全国水平社もこの呼び方を使用していました。

しかし、長い時間が経つにつれ、本来差別的でない表現のはずの「部落」が、差別的意味を持ちだしたという主張が現れました。
同和という言葉は、本来、「人々が和合すること」を意味するのですが、この場合は「同胞融和」の略です。戦後は同和という言葉がはやり、『同和対策事業』『同和地区』など、『部落』という言葉を置き換えました。

そして現代ですが、『部落』という言葉は、被差別部落の少ない東北地方などでは『集落』という言葉と同義で使われ、たんに『部落』と言うだけでは非常に混同しやすくなっています。
そこで、『被差別部落』という呼称が生まれました。その名の通り、差別を受けている部落のことを指します。筆者も当ブログでは一貫してこの呼称を使っています。
もし、あなたがどんな呼び方をすればいいか迷っているのなら、とりあえずは『被差別部落』がいちばん無難です。

さて、ここから隠語の話に移ります。部落差別を意味する発言を公然とすれば、当然、被差別部落側の人間から非難されます。そこで被差別部落を差す様々な隠語が生まれました。
筆者は、隠語の使用を推奨するためにこの記事を書いているわけではありません。もしあなたが隠語に出会った時、「それは間違っている」と考えられるよう、知識を広げるためです。

隠語は無数にあります。かつての身分を差す言葉であった「エタ」「エッタ」は、いまや隠語の一つです。「あの人はエッタだ」と言えば、「あの人は被差別部落出身者だ」という意味です。同様に「あの人は同和だ」「あの人は部落だ」などの例があります。
また、被差別部落の地名の全部や一部を使用する場合があります。「あの人は◯◯(地名)だ」と言われた場合、暗に被差別部落出身者であることを差している場合があります。ただし非常にローカルな使い方なので(地名なんて近所に住んでいる人しかわかりませんから)、それが差別発言かどうか判断するのはとても困難です。

かなり有名な隠語として、『ヨツ』というものがあります。大抵の場合、親指を一本だけ折る(つまり、指が一本足りない)ジェスチャーと共に使われます。
『ヨツ』、つまり指が四本という言葉がなぜ被差別部落出身者を差すようになったのかは諸説あります。「指が一本足りないのは、人間としても足りていないということ」という説もあれは、被差別部落では近親者の結婚が多く(差別を受け他の人とは結婚できないので)、奇形が多いというデマが理由だという説があります。いずれにしろ語源ははっきりしません。
『ヨツ』という言葉を使わず、四本指のジェスチャーだけを示される場合があります。東日本の人などは困惑することが多いようです。

『エタ』『エッタ』『ヨツ』などの言葉は、ほぼ間違いなく差別的な意味で使われています。もしあなたがこれらの言葉に出会ったら、どうすればいいでしょうか。
人権活動家の中には、これらの言葉に出会ったら相手が間違っていることを伝え、説得しろと言う人がいます。しかし、このような言葉を使う人は差別感情が強く、説得することはとても困難です。
筆者は、わざわざ相手を注意する必要はないと思います。被差別部落の人間として、気持ちいい言葉ではありませんが、それによって交友関係に支障をきたすほうが大きな問題になり得るからです。
すべての人間が部落差別をしない社会を作るのは困難です。筆者は、これを読んでいるあなたがこれらの言葉を使わない、差別をしないと約束してくれれば十分だと思っています。こういう小さな意識改善が全体の解決に寄与するのです。

部落解放同盟と『糾弾』

部落解放同盟は、その名の通り被差別部落の住民を差別から『解放』するこを目的とした団体です。ルーツは全国水平社にあります。水平社が第二次世界大戦の影響でいったん解散させられ、戦後、部落解放同盟として再スタートしたのです。

部落解放同盟のいちばん大きな仕事は、全国で発生した部落差別による事件を非難する『糾弾』です。具体的には、「えた、ひにん」などの表現が差別的な意味で使われたり、被差別部落の地名を公に広める発言があった場合、発言者に対して謝罪や発言の訂正を求めます。
一番身近な例が、週刊朝日2012年10月26日号で始まった佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ・奴の本性」という連載です。この連載は筆者も確認しましたが、被差別部落と特定できるよう地名が記述されている上、被差別部落出身者は能力が劣っているかのような表現がありました。部落解放同盟は、「被差別部落出身を暴く調査をおこなうことを宣言して書かれた明確な差別記事」「確信犯的な差別行為である」「土地差別調査事件が大きな社会問題となる なかで、あえて地名を明記した事実は当該住民に対する重大な差別行為」と述べ、「偏見を助長し、被差別部落出身者全体に対する差別を助長するもの」として抗議しました。

いまのところ、『糾弾』を行える団体は部落解放同盟だけで、今後新しい団体が現れる可能性はまずないでしょう。ですから、部落解放同盟は被差別部落問題の解決について大きなカギを握っています。

『糾弾』は部落差別を防ぐための手段としてとても有効なものですが、法的拘束力などは一切ありません。ですから、日本共産党は「弁護士なしに人を罰するのはおかしい」などと主張して部落解放同盟と対立して来ました。
筆者の祖父も、筆者が生協のスーパーに行こうとすると「あれは共産党の店ぞ」などと言ったことがあります。もっとも、今は共産党を敵視する被差別部落住民はほとんどいないと言っていいでしょう。

このように被差別部落問題解決のため大きな役割をもつ部落解放同盟ですが、全ての被差別部落住民、あるいは被差別部落問題の専門家が部落解放同盟を支持しているわけではありません。とくに若い世代は、部落解放同盟の存在すら知らない者も多いと思います。実は筆者も、部落解放同盟の関係者と数人しか会ったことがありません。
ですから、『被差別部落出身者は間違いなく部落解放同盟とつるんでいる』という主張は間違いです。

部落解放同盟は組織体質が古く、たびたび不祥事も起こしているため、あまり良いイメージがありません。会合の際には解放歌という時代錯誤も甚だしい歌を皆で斉唱します。元官房長官で被差別部落出身者の野中広務氏も、部落解放同盟については閉鎖的な部分が多く、否定的です。筆者自身、部落解放同盟をあまり好きではありません。

また、部落解放同盟は設立当時からずっと政党とのパイプを持っています。かつては日本左翼の主流だった日本社会党を支持していましたが、現在は民主党を支持しています。民主党の松本龍前衆議院議員は被差別部落出身者で、部落解放同盟を設立した松本治一郎の孫にあたります。

先程も述べましたが、全ての被差別部落住民、あるいは被差別部落問題の専門家が部落解放同盟を支持しているわけではありません。むしろ支持している方が少数派です。部落解放同盟の得票力は極めて少ないと思われます。被差別部落の人口はおよそ三百万と言われていますが(確証のあるデータはありませんが)、部落解放同盟を支持しているのはそのごくごく一部です。

かつての日本の左翼運動の流れに乗ったことは、今から責めるべきようなことではありませんが、現代において政党とのパイプを持つ意味はあるのでしょうか。例えば、部落解放同盟はTPP参加に反対していますが、被差別部落問題の解決と、TPP参加にどう関係があるのか、筆者は理解しかねます。
部落解放同盟は「部落解放基本法」の立法を提案していますが、このような法は一つの政党に任せるのではなく、超党派で議論すべきでしょう。

最後になりますが、筆者は部落解放同盟の『糾弾』という行為は非常に重要であり、部落差別の根絶に欠かせないと思っています。しかしながら、時代に合わせてもう少しオープンな団体に脱皮しなければ、今後影響力が弱まり、存在意義が薄れてしまいます。
部落解放同盟がより透明で現代的な団体になることを筆者は願っています。

2013年1月25日 (金)

被差別部落の教育 保育所、児童館、学習会

同和対策事業の一つとして、被差別部落の教育改善が行われました。同和対策事業以前は被差別部落出身者の高校進学率は非常に低く、ほとんどが中卒で働いていました。
なぜなら、被差別部落の家庭はどこも貧窮しており、子どもは内職や家事の手伝いに追われ、まともに学校へ行けなかったのです。八十歳近い筆者の祖母は、自分は中学までなんとか通わせてもらったものの、同級生は小学校もろくに行っていないと証言しています。

教育を受けられないと、将来の就職先、つまり経済状況も改善しません。そこで被差別部落には様々な教育機関が作られました。

被差別部落には、もちろん個々の差はありますが、大きく分けて三つの教育機関が置かれていました。それが保育所、児童館、学習会です。ただし、2002年の同和対策事業終了によって変化が起こっています。

保育所
は、その名の通り0歳から7歳の子どもを保育する施設です。たいていは市町村が運営しており、保育料を必要としますが、夕方五時代まで子どもを預かってくれるため、共働きの家庭には重宝されています。
かつては被差別部落内の子ども専用でしたが、経済状況が徐々に改善されていき、差別感情が薄れ、また被差別部落内外を問わず共働きが増え、保育所の需要が増加していることから、被差別部落外の子どもも受け入れるようになりました。筆者のところでは、町内の子どもなら誰でも受け入れています。

児童館は、手のかからない大きな子ども、つまり五歳から小学校低学年くらいを対象にしています。保育所との違いは、保育料が不要で、開館している時間なら誰でも入れることです。ただし、指導員の数は少なく、基本的に子どもが勝手に遊ぶだけで、教育などは行われません。筆者が子どものころは毎日三時におやつが出ましたが、最近は予算削減でなくなっています。
主に、幼稚園や小学校を終了後、自宅に誰も面倒を見る人がいない子どもが訪れますが、友達と一緒に遊ぶため、親が在宅でも児童館へ行く子どもも多いです。
同和対策事業終了後の児童館は、地域によってまちまちです。廃止になったところもあるし、被差別部落外の子どもを交えて存続しているところもあります。

最後に学習会について。これは小学生が対象です。小1から小6まで学年ごとに別れ、隣保館に集って勉強をします。ここでいう勉強とは、学校の勉強のことです。人権教育も行われますが、時間はあまり多くありません。筆者が通った学習会は、一時限目に学校の宿題をし、休み時間があって、二時限目に配布された教材(計算プリントなど)をやりました。
学習会は被差別部落の町内会と小学校が協力して運用されていました。講師を務めるのは、小学校の先生です。学習会に馴染みのない方は信じられないかもしれませんが、小学校教諭の職務の一貫として学習会があったのです。また、学習会を運営するための専属教員もいました。
保育所、児童館は今も多く残っていますが、学習会は同和対策事業終了後、予算が打ち切られ、ほとんどが姿を消したと思われます。理由は大きく分けて二つ。一つは、被差別部落内の経済状況が改善し、学習会でなく通常の塾に子どもが通うようになったこと、もう一つは全国的な人口減により被差別部落の子どもが少なくなったことです。筆者の通っていた町内の学習会はもうありません。ただし、予算終了後も有志によって存続している学習会もあると聞きます。

以上が、被差別部落内で行われた、環境改善のための教育です。これらは被差別部落外にはあまり語られて来なかったように思います。なぜなら、学習会に通ったということは、自分が被差別部落出身であると宣言しているようなものだからです(最近は被差別部落外の生徒を交えた学習会もあるらしく、一概には言えませんが)。

保育所、児童館、学習会による教育改善に、被差別部落の環境改善に一定の効果があったことは明らかだと思います。被差別部落の一つの歴史として、多くの方に記憶してもらえれば幸いです。

同和対策事業がもたらしたもの

第二次世界大戦後、日本は「一億総中流」と呼ばれる時代に向かうわけですが、被差別部落に対する差別感情はかなり残っていました。よって被差別部落の経済状況は、依然として劣悪なままでした。

そこで行われたのが、1969年に始まった同和対策事業です。これは他の地域に比べてかなり遅れていた被差別部落のインフラ整備が目的です。
被差別部落内のインフラは、道路は未舗装、下水はなし、というか水道が通っていない、など劣悪な状態が続いていました。しかしながら、就職差別を受けるためにまともな働き口のない被差別部落の人々は、自力ではインフラ改善が困難でした。よって行政の手が加わることになったのです。

代表的なものに、公営住宅の整備があります。団地のようなものであったり、一戸建ての住宅だったり、場所によって色々あります。被差別部落の居住環境はとても劣悪であり、かと言って家を新築するような資金はどこにもないため、行政が率先して住宅を建てたのです。この住宅は他の借家に比べて安価に設定されています。でもその分部屋は狭いし、最近は老朽化が激しいので、経済力に余裕のある家庭は新築した家に移る傾向があるようです。

他にも様々な施設が建てられました。有名なのは隣保館です。隣保館は地域によって解放センター、解放会館、人権文化センターなど様々な呼び方があります。規模も様々ですが、三階建てで多数の会議室、和室、集会室などを備えていることが多いです。ここは人権教育に使うのが目的ですが、町内会のお祭り等でも使われます。
また、被差別部落の家庭のほとんどが共働きであることを考慮し、子どもを預かる保育所や、児童館(幼稚園から小学校低学年の児童を夕方まで預かる施設)が建てられました。

もう一つ、同和対策事業の重要な目的として、被差別部落住民への雇用提供があります。前述のように被差別部落住民は金銭的に余裕がないものの、就職差別によってまともな就職ができないというジレンマに陥っていました。そこで、まずは行政から仕事を発注することにしたのです。具体的には、被差別部落内の土木工事や住宅建設を被差別部落内の企業に発注するケースが多いようです。

これらの事業によって、被差別部落内の環境は劇的に改善しました。重要なのはインフラ整備が整ったことと、多くの人がまっとうな職を得た(建設業が主ですが)の二点です。

しかし悪い面もあります。環境が改善した後、なおも被差別部落内の企業に便宜をはかってもらおうとする行為が続出しました。これが俗に「同和利権」と呼ばれるものです。

2002年、被差別部落の環境改善が十分だと判断され、同和対策事業は終了しました。終了により、隣保館や公営住宅の維持費が削減あるいは廃止されるなどの問題も起こっています。

簡単ですが、以上が同和対策事業の概略です。いわゆる「同和利権」の問題や、隣保館、公営住宅などについてはまた別の記事で解説します。

被差別部落の分布 東日本には無い?

分布といっても、「この地域は被差別部落です」などと書くわけではありません。
特定の地名を挙げ「ここは被差別部落だ」と指摘することは、差別を助長する行為であり、絶対に行ってはいけません。

被差別部落問題の理解について、西日本と東日本ではかなり差があります。東日本の人は、被差別部落は西日本にしかないと思っている人が多いようです。
以前、関東で活動するハンセン病問題の活動家と話した時、被差別部落問題のことを話すと「ああ、それは愛知より西の話でしょ?」と言われたことがあります。さまざまな人権問題を取り扱う、いわゆる左翼的な活動家の間でも、これだけ認知に差があるのです。

被差別部落の南限は鹿児島県、北限は青森もしくは秋田、岩手だと考えられています。北海道に入植が行われたのは明治維新以後であり、穢多の集落はありません。また沖縄は琉球王国がベースであり、被差別部落は存在しません。

では何故、東日本では被差別部落問題に関する理解が浅いのでしょうか。
黒川みどり著「近代部落史」によれば、西日本の被差別部落は「大規模集中型」なのに対し、東日本は「小数点在型」である、としています。つまり、東日本でも被差別部落は存在していますが、規模が小さいためにあまり認知されていないのです。
先ほど、被差別部落の北限をアバウトに書いたのはそういう理由があります。青森には、とても小規模な被差別部落が存在しているかもしれませんが、被差別部落を特定することは差別の助長だと考えられているため、誰も捜索せず、北限がはっきり決められないのです。

そういう訳で、「東日本には被差別部落がない」という情報は間違っています。西日本では道徳の授業といえば部落差別という風潮すら感じますが、東日本では前述の理由によりそうはなっていません。よって東日本では被差別部落の存在を知らない人が多いようです。
北海道、沖縄を除くほぼ日本全土に被差別部落が存在するということは、誰でも被差別部落問題に遭遇する可能性があるということなのです。皆が他人ごとだと思わず、正しい知識を身につけることを願います。

2013年1月24日 (木)

被差別部落という呼び名の由来

被差別部落ってなんでしょうか。とても基本的なことですが、現代人、とくに若い世代はこれを知らないことが多いです。被差別部落が何であるかを知らないことにより、本人にそのつもりはなくても差別的な発言をしてしまう場合が多々あります。
だから、まずはじめに「被差別部落」とは何か、簡単に説明しておきます。

一般的に被差別部落とは、かつて「穢多」と呼ばれていた身分の人たちが集住している集落のことを指します。「穢」は「けがれ」という意味です。すなわち、けがれが多いという意味を持ちます。

「穢多」のルーツは古く、奈良時代あたりから存在していたようです。「穢多」は死んだ牛馬の解体と皮なめしを生業としていました。仏教において、血は穢れを持つとされ、忌避されていました。戦国時代くらいまでは、皮が戦での重要資源であることから、差別はゆるく、それどころか優遇されていたという情報すらあります。

「穢多」が被差別階級として固定されたのは江戸時代からです。江戸時代は職業で身分が決まります。江戸時代の身分制では、トップが「武士」、次に町人、すなわち「農民」「商人」「工人」、そしてその下に「穢多」「非人」がありました。「穢多」は江戸時代も変わらず死んだ牛馬の解体と皮なめしに従事していました。前述のとおり汚らわしい仕事であるため、身分の低い、すなわち被差別階級として扱われ、重税を受けたり、武士や町人から嫌がらせを受けていました。

「穢多」は特定の地域に集住し、移住は禁止されていました。

明治維新のあと、身分制を廃する「解放令」が出されました。この時点で、「穢多」は被差別階級ではなくなり、他の身分と平等になりましたが、解放令が出されたからといって民衆から穢れの概念がなくなったわけではなく、しばらくは差別が続きます。
そうした中、穢多の集住地はかつて「穢多村」などと呼ばれていたのですが、「穢多」という呼称は差別的だ、という訴えから、行政機関などは「穢多」という呼び方を使わないことになりました。そのため、穢多の集住地は「部落」と呼ばれはじめたのですが(何故部落なのかはよくわかっていません)、もともと「部落」という言葉には単に「集落」という意味があります。そこで混同を避けるため、旧穢多の者自ら「特殊部落民」と名乗ることを決めました。「部落差別」と言われる所以は、ここにあります。

第二次世界大戦後は「同和地区」「未解放部落」など様々な呼び名が考えられましたが、現在では井上清が1954年に考案した「被差別部落」という呼称が一般的です。単純に「部落」とすればやはり「集落」と混同されやすいようで、筆者は様々な活動家から意見を聞いていますが、「被差別部落」という呼称に統一される傾向があります。

以上が、被差別部落の由来の簡単なまとめです。これだけ読んでもらっても、現代において被差別部落出身者が差別される正当な理由はないことがわかると思います。
「解放令」から現代にかけて、どのような変遷を遂げたか、現代の被差別部落はどのようなものか、などはまたの機会に、詳しく書きます。一つの記事が長すぎると読みにくいので。

っていうか、Wikipedia読める方はこっちをどうぞ。

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