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2013年2月 6日 (水)

筆者と人権教育の関わり

これまで、このブログでは部落差別の基本的な知識やネットウォッチングを主に執筆していました。これからも基本的にこの調子で続けようと思っていますが、いろいろ書いているうちに筆者自身の経験を記述したいという気持ちが出て来ました。
そこで、この記事では筆者と人権教育との関わりをまとめます。全くの私事であり部落差別の解消には役に立たないと思いますが、筆者の素性がある程度見えないと記事に信ぴょう性がないし、また自分でも記憶を整理したいので、この記事を書きます。興味のない方は飛ばしてください。

筆者は被差別部落の生まれですが、はじめは自分のことを被差別部落出身者だとは思っていませんでした。なぜなら、筆者の自宅は被差別部落から若干離れたところにあり、住所が被差別部落のものと違っていたのです。
人権教育は小学生の頃から受けていましたが、小学校の先生はみんな次のような説明をしていました。
「◯◯(地名)の人は、昔他の人から嫌がらせを受けることがあった」
これは、小学生に教えられる部落差別の、最大限の表現だったのでしょう。実際、説明する先生の顔はいつも、とても真面目でしたし、先生たちは人権教育に真剣に取り組んでいたと思います。縁のない方はわからないかもしれませんが、被差別部落のある学校には人権教育に熱心な先生が集まるのです。
筆者はこの説明を恨んだりしていませんが、これだと地名だけが悪い風に聞こえ、かつて「穢多」という身分であったことはわかりません。ですから、小学生の時の筆者は、自分は被差別部落出身ではないと思っていました。

筆者が被差別部落出身だと気づいたのは、おそらく小6の頃です。歴史の授業で「士農工商えた・ひにん」を習いました(最近は習わないそうですね)。それで初めて「えた」の人が今も差別されていることを知りました。
筆者は隣保館で行われる学習会に参加していました。どうして被差別部落に住んでいないのに参加させられるんだ、と当時は不思議でしたが、よく考えたら町内会も被差別部落のところだし、単に地名だけではないのではないかと小6のときにいろいろ考えた結果、筆者も被差別部落出身であると認識したのです。

とはいえ、被差別部落出身だからということでいじめられることは無かったので、部落差別は筆者にとってそこまで深刻な問題ではありませんでした。人権教育も退屈だなあと思っていました。

転機が訪れたのは、中学の担任に出会ってからです。この先生は人権教育のカリスマみたいな人で、中学生どうしで人権を考えるいろいろな集会などを運営していました。
中学に上がってすぐの頃はまだ興味がありませんでしたが、道徳の授業での熱弁に影響され、また受験勉強ばかりするのが嫌なので、先生の主催する集会などに参加するようになりました。
そこでは、同年代の中学生が涙を流しながら「私は部落出身です」と宣言したり、自分や自分の親が受けた差別を告白したりしていました。筆者は部落差別を身に感じたことはなかったので、かなり衝撃を受けました。今も部落差別は残っている、多くの人が苦しんでいるんだ、と認識するようになりました。
いまこんなブログを書いているのは、当時あった熱意の残りカスのおかげだと思っています。

高校に進学すると、小学校から一緒だったメンバーと離れ、新しい友人を作りました。人権活動とは、自然と距離を置くようになりました。他に楽しいことが沢山あったのです。
しかし、高校でも筆者は心のどこかで「自分は差別されているのではないか」と考えていました。全く新しい同級生たちが何を考えているかわからないし、筆者の苗字は被差別部落出身者としては有名で、殆どの同級生には筆者が被差別部落出身だとわかっている状況でした。そんな環境で、筆者は相手がどう考えているのか、予測できなかったのです。

結論から言うと、高校で筆者が部落差別を受けるということは一度もありませんでした。人権教育が盛んな地方だということも一因だと思いますが、そもそも現代の風潮として、被差別部落出身者を差別するという考えはあまりないと感じました。とくに筆者は進学校出身なので、ある程度頭のいい生徒が揃っており、ばかな差別発言をするものはいませんでした。

この時、筆者には「部落出身だからといって、差別を受けるのではないかと怯える必要はないのではないか」という思いが生まれました。

それを確信したのは、高校で彼女が出来た時です。
中学までに受けた人権教育で、自分が異性と付き合うときに部落出身だと言うかどうか、という問題を何度も論じていたので、自分も言わなければならないと思い、付き合い始めてすぐに彼女に告げました。
彼女は「そんなの関係ないやん。そんなこと気にする人おらんよ」と言いました。全くそのとおりでした。人付き合いをするのにいちいちそんなこと考えていたら、きりがないのです。

以降、筆者はこれまでの人権教育を、悪例ばかりを挙げ、過度に悲観をさせるものだとして蔑視するようになりました。

そして筆者は普通に高校時代を過ごし、現在は普通の大学生です。人権活動にはいっさい関わっていません。

では何故このブログを書いているのかというと、一つはまだ付き合いのある中学の担任から、「まだ差別はある」と言われていることです。筆者の周囲では部落差別を感じません。ですが、いわゆる低所得層を中心に蔓延しているという事実もあります。もう一つは、ネットを通じて様々な部落差別が露呈したことです。自分と同じ境遇の者が差別されているのは気持ちのいいものではありません。また橋下徹氏の問題は、権力を持ったものが部落差別によって被害を受ける可能性を示唆しています。これでは真に部落差別がなくなったとは言えません。

部落差別が残っているということは、不幸な事実です。
しかし部落解放同盟は閉鎖的で意味がわかりませんし、いわゆる左翼の方は不幸な観点に偏りすぎて信用できません。部落差別を全く教えないのも問題ですが、いまの(少なくとも筆者の地元で行われている)人権教育のように悪例ばかり取り上げて現状を把握しないのもまた問題です。

ですから、筆者の目標は部落差別を客観的に分析した上で差別をなくす方法を提案することです。

長くなりましたが、これが筆者と人権教育の関わりです。読んでくださった方、ありがとうございました。

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コメント

>31 名前:とうろ 投稿日: 2013/09/26(木) 21:53:13 ID:3hMQV3Kkニュー○イス本人は、自分の川柳を「へたうま」と思っているのかもしれないが、
いっておきますが、決して「へたうま」なんかでなく、
へたへたへたへたへた
ですから。

32 名前:とうろ 投稿日: 2013/09/26(木) 21:55:49 ID:3hMQV3Kk

へた・非人

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/15152/1379639827/

前略、とんでもない差別書き込みを発見しました。↑
こう云うのを差別用語と言うんじゃないでしょうか?
TVの「それは○手落ちです」などを 「番組中不適切な表現が有った事を深くお詫びします」などアクシデントを謝ってるが
「へた、非人」などハッキリ冗談交じり嘲的に差別用語を言う方が余程問題だと思いますし、断固抗議すべきと思います。
この差別用語のため、就職や結婚など悲しい目に合う人現実にいるのだから。しかもここのサイトWという宗教団体ですよ?

かなり昔の記事に対するコメントになってしまうので、これが筆者の方に届くかは分かりませんが、非常に中立的且つリアリティのある内容で、勉強になりました。左翼と右翼が溢れかえり極論ばかりが取り沙汰される中、筆者さんのような冷静な判断力と主体性をお持ちの方がいらっしゃられるということは本当にこの国にとっても幸せなことだと思います。
久しぶりに感動させて頂きました。

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