2013年2月 6日 (水)

筆者と人権教育の関わり

これまで、このブログでは部落差別の基本的な知識やネットウォッチングを主に執筆していました。これからも基本的にこの調子で続けようと思っていますが、いろいろ書いているうちに筆者自身の経験を記述したいという気持ちが出て来ました。
そこで、この記事では筆者と人権教育との関わりをまとめます。全くの私事であり部落差別の解消には役に立たないと思いますが、筆者の素性がある程度見えないと記事に信ぴょう性がないし、また自分でも記憶を整理したいので、この記事を書きます。興味のない方は飛ばしてください。

筆者は被差別部落の生まれですが、はじめは自分のことを被差別部落出身者だとは思っていませんでした。なぜなら、筆者の自宅は被差別部落から若干離れたところにあり、住所が被差別部落のものと違っていたのです。
人権教育は小学生の頃から受けていましたが、小学校の先生はみんな次のような説明をしていました。
「◯◯(地名)の人は、昔他の人から嫌がらせを受けることがあった」
これは、小学生に教えられる部落差別の、最大限の表現だったのでしょう。実際、説明する先生の顔はいつも、とても真面目でしたし、先生たちは人権教育に真剣に取り組んでいたと思います。縁のない方はわからないかもしれませんが、被差別部落のある学校には人権教育に熱心な先生が集まるのです。
筆者はこの説明を恨んだりしていませんが、これだと地名だけが悪い風に聞こえ、かつて「穢多」という身分であったことはわかりません。ですから、小学生の時の筆者は、自分は被差別部落出身ではないと思っていました。

筆者が被差別部落出身だと気づいたのは、おそらく小6の頃です。歴史の授業で「士農工商えた・ひにん」を習いました(最近は習わないそうですね)。それで初めて「えた」の人が今も差別されていることを知りました。
筆者は隣保館で行われる学習会に参加していました。どうして被差別部落に住んでいないのに参加させられるんだ、と当時は不思議でしたが、よく考えたら町内会も被差別部落のところだし、単に地名だけではないのではないかと小6のときにいろいろ考えた結果、筆者も被差別部落出身であると認識したのです。

とはいえ、被差別部落出身だからということでいじめられることは無かったので、部落差別は筆者にとってそこまで深刻な問題ではありませんでした。人権教育も退屈だなあと思っていました。

転機が訪れたのは、中学の担任に出会ってからです。この先生は人権教育のカリスマみたいな人で、中学生どうしで人権を考えるいろいろな集会などを運営していました。
中学に上がってすぐの頃はまだ興味がありませんでしたが、道徳の授業での熱弁に影響され、また受験勉強ばかりするのが嫌なので、先生の主催する集会などに参加するようになりました。
そこでは、同年代の中学生が涙を流しながら「私は部落出身です」と宣言したり、自分や自分の親が受けた差別を告白したりしていました。筆者は部落差別を身に感じたことはなかったので、かなり衝撃を受けました。今も部落差別は残っている、多くの人が苦しんでいるんだ、と認識するようになりました。
いまこんなブログを書いているのは、当時あった熱意の残りカスのおかげだと思っています。

高校に進学すると、小学校から一緒だったメンバーと離れ、新しい友人を作りました。人権活動とは、自然と距離を置くようになりました。他に楽しいことが沢山あったのです。
しかし、高校でも筆者は心のどこかで「自分は差別されているのではないか」と考えていました。全く新しい同級生たちが何を考えているかわからないし、筆者の苗字は被差別部落出身者としては有名で、殆どの同級生には筆者が被差別部落出身だとわかっている状況でした。そんな環境で、筆者は相手がどう考えているのか、予測できなかったのです。

結論から言うと、高校で筆者が部落差別を受けるということは一度もありませんでした。人権教育が盛んな地方だということも一因だと思いますが、そもそも現代の風潮として、被差別部落出身者を差別するという考えはあまりないと感じました。とくに筆者は進学校出身なので、ある程度頭のいい生徒が揃っており、ばかな差別発言をするものはいませんでした。

この時、筆者には「部落出身だからといって、差別を受けるのではないかと怯える必要はないのではないか」という思いが生まれました。

それを確信したのは、高校で彼女が出来た時です。
中学までに受けた人権教育で、自分が異性と付き合うときに部落出身だと言うかどうか、という問題を何度も論じていたので、自分も言わなければならないと思い、付き合い始めてすぐに彼女に告げました。
彼女は「そんなの関係ないやん。そんなこと気にする人おらんよ」と言いました。全くそのとおりでした。人付き合いをするのにいちいちそんなこと考えていたら、きりがないのです。

以降、筆者はこれまでの人権教育を、悪例ばかりを挙げ、過度に悲観をさせるものだとして蔑視するようになりました。

そして筆者は普通に高校時代を過ごし、現在は普通の大学生です。人権活動にはいっさい関わっていません。

では何故このブログを書いているのかというと、一つはまだ付き合いのある中学の担任から、「まだ差別はある」と言われていることです。筆者の周囲では部落差別を感じません。ですが、いわゆる低所得層を中心に蔓延しているという事実もあります。もう一つは、ネットを通じて様々な部落差別が露呈したことです。自分と同じ境遇の者が差別されているのは気持ちのいいものではありません。また橋下徹氏の問題は、権力を持ったものが部落差別によって被害を受ける可能性を示唆しています。これでは真に部落差別がなくなったとは言えません。

部落差別が残っているということは、不幸な事実です。
しかし部落解放同盟は閉鎖的で意味がわかりませんし、いわゆる左翼の方は不幸な観点に偏りすぎて信用できません。部落差別を全く教えないのも問題ですが、いまの(少なくとも筆者の地元で行われている)人権教育のように悪例ばかり取り上げて現状を把握しないのもまた問題です。

ですから、筆者の目標は部落差別を客観的に分析した上で差別をなくす方法を提案することです。

長くなりましたが、これが筆者と人権教育の関わりです。読んでくださった方、ありがとうございました。

2013年2月 4日 (月)

インターネットと部落差別

ブログを読んでいる皆さんならわかると思いますが、現代ではインターネットが普及し、様々な情報がリアルタイムで流れます。ただ情報を得るだけでなく、ブログを書いたりツイッターでつぶやいたり、Facebookで友達を見つけたりして情報を発信することもできます。

では、インターネットという媒体において、部落差別はどのように関わっているのでしょうか。

残念ながら、筆者の私感ではいい面よりも悪い面が多いと思います。まずは悪い面から考察していきます。

インターネット黎明期に流行った掲示板は、時として差別的な書き込みをされることがありました。筆者は「◯◯町は部落」「エッタは死ね」などの悲しい書き込みをいくつも見ました。現代では公の出版物でこのような差別表現が掲載されることがない分、抑制の利かない個人運営の掲示板での差別表現は筆者にとってきつかったです。

いちばんひどいのが2ちゃんねるの人権問題板です。馬鹿馬鹿しいのでリンクは張りませんが、2ちゃんねる独特の人を馬鹿にする語り方から、終始差別的な表現で書き込みが行われます。被差別部落の地名を特定するような書き込みだけは削除されますが、他は差別発言があっても残ったままです。

筆者は、2ちゃんねるの人権問題板のように、差別の温床となる媒体は廃止すべきだと考えます。いくら言論の自由があるとはいえそれは公共の福祉の範囲内に限られます。差別的な発言は許されません。差別的な発言をする場を与えるのも問題です。

差別発言は匿名の媒体に多いです。筆者はTwitterで「部落」などの単語で何度か検索をかけてみましたが、残念ながら半分くらいが差別発言でした。一方Facebookでそのような発言は全く見られません。Twitterのような匿名が許されるツールは差別発言防止のために閉鎖しろとは言えませんが、差別発言をするアカウントを凍結するなどきちんとした運営をするべきです。

一方で、いい面もあります。一つは情報がより手軽に手に入れられるようになったことです。部落解放同盟の文献なんて普通の人間はまず手に取りませんが、いまはホームページを見ることでいろいろ知ることができます。時間もお金もかかりません。

何より筆者がインターネットに期待しているのは、大衆による差別のチェックです。
この前の週刊朝日・佐野眞一氏の差別的な記事がそうでした。部落差別はタブー視されているため、初めはそれを咎めようという声は非常に少なかったのですが、橋下徹氏が自身のツイッターで言及してからたちまち『炎上』し、編集長引責辞任まで発展しました。

このように、これまでは部落解放同盟が行なっていた『糾弾』を大衆が請け負い、小さな差別も見逃さないようにすることが可能なわけです。
残念ながら部落解放同盟は閉鎖的な団体と言わざるを得ません。かつて民主党の松本龍元復興大臣が問題発言をした時、大手メディアはバックにある部落解放同盟を恐れてまともに報道しませんでしたが、地元誌が怒りのあまり発言を公開、その後ネットで彼への非難が広まりました。この事実から、部落解放同盟は自分に近い人間がうっかり差別的な発言を行なっても、糾弾しない可能性があると筆者は考えています。

インターネットはもう現代の大衆にしっかり浸透してしまったので、今更やめるわけにはいきません。悪いところはしっかり但し、いい所はしっかり利用するのが大切だと思います。

2013年2月 3日 (日)

被差別部落の遺伝子は劣っているのか?

よく、部落差別が起こった時、「部落民は遺伝子が劣っているから、能力が低い」とか言われます。現代の社会通念上、このような考えは許されませんが、間違った知識をちゃんと正すため、一度は学問的に考察してみようと思います。

結論から言うと、遺伝子が劣っているから部落民の能力が低いというのは間違いです。獲得形質は遺伝しないからです。

これは中学で習うはずなので、わざわざ説明する必要はないのかもしれませんが、先天的な遺伝、つまり親からの遺伝はありますが、後天的に獲得した形質はその人の環境によって変わります。ですから、親からの遺伝がその人の能力を決めるわけがありません。

というわけで、生物学的にも部落差別は間違っています。
部落差別とか以前に、親が劣っているから子も劣っているという考えは大きく間違っています。

...ちなみに、筆者は「ゆとり世代」なので、中学のとき遺伝を習っていません。だから先ほどわざわざ勉強しなおしました。

2013年2月 2日 (土)

被差別部落のホルモン食

かつての被差別部落は皆お金を持っていなかったので、肉や魚を購入することは困難でした。そこで、普通はあまり食べられないホルモン食が進みました。

ちなみに、ホルモンの語源は『放るもん』(関西弁で捨てるもの)という俗説は間違いだそうです。『トリビアの泉』でやってました。

地域によっていろいろ違いはありますが、ここでは筆者の知っているものを説明します。

一番有名なのが、ホルモンを無造作に塩ゆでしたものです。筆者の地域では『いりかす』と呼んでいました。いわゆる『センマイ』『ミノ』『シロ』と呼ばれるホルモンが同時に塩ゆでされたものです。見た目は気色悪く、硬いし、けっこう臭うのですが、味はしっかりしていて酒の肴などには最適です。ただ(かつての被差別部落のように)主食にするのはちょっと、と筆者は思います。
かつては精肉工場から被差別部落にトラックが来て「一カン◯◯円!」と投げ売りしていたそうです。

それから、筆者の知っているものに『肉ようかん』というものがあります。これは牛から出るゼラチンでホルモンを固めたものです。筆者は一度だけ目にしたことがありますが、外観だけでも脂ぎった感じが伝わってきて、食べられませんでした。

現在では、皆さんご存知の通り、ホルモンは焼肉で有名です。とくに牛の全頭買い(コストを抑えるため、牛をまるごと一頭買い取ること)が流行ってからは、全ての部位を売るためにホルモンも普通にメニューに加わるようになりました。焼肉屋のタレはホルモンをおいしく食べるようにできています。『いりかす』ばかり食べていた筆者は、情熱ホルモンでいろいろなホルモンを食べて「こんな美味しい食べ方があったのか」と、少し感動しました。

というわけで、ホルモン食は被差別部落の伝統的な食文化です。しかしながら、ホルモンを食べたいだけなら、『いりかす』や『肉ようかん』をわざわざ探さなくても、情熱ホルモンに行ったほうが早いし美味しいです。

2013年1月31日 (木)

『部落民』の定義をどうするか?

以前、橋下徹氏の出自をもとに部落民の定義を考える記事を書いたところ、とある方から、「では、部落民の定義が曖昧だと何が問題なのか?」という質問をいただきました。

実はこの問題、とても難しいのです。部落民の定義が曖昧になったのは最近のことなので、参考にできる先行研究が少なく、納得できる解答は見当たりません。

いちおう報告しておくと、部落民の定義についてはいろいろな議論があります。中国史学者の藤田敬一氏は、1998年に著書「『部落民』とは何か」で、被差別部落の近代化により部落民の定義が揺らいでいることを指摘しています。

では定義が揺らぐことの何が問題なのでしょうか。
一つの見方として、解放運動の担い手が育たなくなったり、被差別部落という共同体が解体するのではないか、という部落民側の危機感があります。

部落民は、『被差別部落』という共同体のもと、大きな『差別』と戦ってきました。ところが現代では、経済環境の改善によって『差別』はだいぶ衰退しました。では、差別が無いのなら、『被差別部落』という共同体は不要ではないか、という議論が起こるわけです。

被差別部落にずっと住んできた筆者が思うに、ほとんどの被差別部落には日本の伝統的なムラ社会の構図が息づいています。「田舎は全員が知り合いでプライバシーが無い」とかそういうのを想像してくれればいいでしょう。既存のムラ社会に慣れた人々は、ムラ社会を手放すことに抵抗を抱くことが多いです。
ですが、現代ではムラ社会に参加しようがしまいが自由です。実際、多くの人が被差別部落を出て、他の人と同じように住居を構えています。

要は、被差別部落を含む封建的な社会と、現代の自由主義的な社会のジレンマです。

ムラ社会を維持し続けるか、離れるかは個人の自由であり、どちらが絶対的に悪という話ではありません。ぶっちゃけ筆者は自由主義的な考えであり、被差別部落のコミュニティにはほとんど参加していません。

では、被差別部落に残ってムラ社会に残る人はともかく、自由主義的な社会の中で、被差別部落とはかかわりなく生きていく人は、自分が被差別部落民だと意識する必要はないのでしょうか?

残念ながら、筆者はそう簡単にはいかないと思っています。橋下徹氏の事例がそれを証明しました。彼は父親が被差別部落出身ですが、ずっと別居していて自分は被差別部落とは無縁だ、と言っています。しかしながら、週刊新潮や週刊朝日の例を見てわかるように、一部の人からは、「橋下徹は部落」だと判断されています。

自分は「部落ではない」と言っても、相手に部落だと認識されたらどうしようもないという現実があります。

彼は自分と被差別部落に関わりがあることを知っていたからまだいいのです。実は今、自分が被差別部落と関わりがあることを知らないために起こった問題が急増しています。

被差別部落を出た家庭の子どもが、自分が被差別部落にルーツがあることを全く知らず、結婚の時に興信所の調査で被差別部落出身であるとされて断られるケースがあります。また、その逆で、自分が被差別部落にルーツがあることを知らないがため、『エタ』などの差別的な言葉を、自身が被差別部落にルーツがあるにもかかわらず使うという事例もあります。

このように、部落民の定義が曖昧になったことで起こる新しい問題があるのです。

筆者の意見をまとめると、現代の自由主義的な社会では、部落民の定義を厳格に決めるのはリスクのほうが大きく、やるべきではありません。しかし、少しでも被差別部落出身の近親者がいる場合、自分が被差別部落と関わりがあることを自覚しておかなければ問題を引き起こす可能性があります。ですから、「自分は部落民だ」などと名乗る必要は無いにしても、自分のルーツは知っておく必要があります。

長くなりましたが、最後に「部落民の定義が曖昧だと何が問題なのか?」という問いに筆者なりに解答すると、「定義が曖昧なこと自体は問題ではないかもしれないが、それによって新しい問題が発生することは避けなければならない」ということでしょうか。筆者は部落差別がなくなりさえすれば何でもいいという立場なので、被差別部落という共同体の存続などについては詳しくありません。とにかく差別によって人が傷つくのを防ぐことだけを考えています。

2013年1月29日 (火)

被差別部落問題と日本国憲法第十四条

『部落差別をしてはいけない』というのは、このブログを読んでくださっている方ならわかっているかと思いますが、法的根拠はあるのでしょうか?

実はちゃんとあります。憲法十四条にちゃんと記載されています。以下、全文を引用します。

  1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
  2. 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
  3. 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

この条文において、被差別部落問題に関連するのは、「社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という部分です。

『門地』という言葉はあまり聞きなれないと思いますが、これは『家柄』という意味です。この『門地』という言葉は、松本治一郎など部落解放活動家の強い要望で挿入されたと言われています。たまに『門地』という言葉を『出身地』と解説する人がいますが、そのような意味はありません。あまり使われない言葉のため、推測で意味を語られる事が多いようです。

なぜこの条文を持ち出してきたのかというと、現代社会は『法の支配』、つまり法治によって動いているからです。現代国家において、全てを律するのは法律です。過去の絶対王政などの独裁政治で、いわゆる人治の暴走が反省され、変わりに法を絶対的なものとするようになりました。

ですから、筆者がどれだけ『部落差別はいけない』と言っても、法で定まっていなければ無意味なのです。

ただし、憲法は民法や刑法などと違い、破ったところで何の処罰もありません。憲法は上位法であり、民法や刑法を制限しています。そして民法や刑法が国民を制限します。部落解放同盟の推薦する「部落解放基本法」や、「人権擁護法案」が提案されるのは、たんに憲法だけでなく、民法や刑法によって部落差別を刑事罰で抑えるという意味があります。いまのところ、部落差別を罰する刑法はありません。

そういう訳なので、『どうして部落差別をしてはいけないの?」と問われ、うまく説明出来ないときは、憲法十四条を紹介するのも一興かと思います。

被差別部落問題に関する書籍 『近代部落史』黒川みどり

被差別部落問題について詳しく知りたい場合、ネットだけでは限界があります。とくに勉強を始めてあまり時間の経っていない方は、情報の真偽を自分で判断するのが難しく、デマに惑わされる危険性もあります。
ですから、自分で被差別部落問題について勉強する場合、書籍の購入を強く薦めます。

筆者はいろいろな本を読みましたが、あまり何冊も紹介すると混乱するので、一冊だけ紹介します。

『近代部落史』(黒川みどり著・平凡社新書)は、2011年2月15日に発行された、とても新しい部落差別に関する書籍です。著者の黒川みどり氏は静岡大学教授で、部落差別を研究テーマにしています。

この本のいちばんの特徴は、被差別部落を取り巻く歴史が極めて客観的に分析されていることです。これまでの書籍は、被害者側、つまり被差別部落の立場に立って「とにかく差別やめろ」と主張を続けるようなものが多かったのですが、この本は違います。差別の事例とそれに対する解説は、差別する側にも、差別される側にも中立です。

この本は、とくに被差別部落問題の学習を始めてする方にお薦めします。偏った情報に惑わされる危険がないからです。

筆者は、内容がしっかりしていて、価格も手頃なこの本を待望していました。なぜなら、被差別部落問題の解決は、全ての人々が正しい知識を持つことが一番の早道だからです。
正直言って、このブログは『近代部落史』の焼き直しみたいなものです。本書の欠点として、少し文体が硬く、漢字も多いので小学生高学年には厳しいところがあります。ただ、大人をターゲットに書かれた本(だと思う)ので、それを責めることはできません。

この本はその名の通り近代における被差別部落問題の辞書みたいなものです。学校の先生になって、道徳教育などで被差別部落問題を取り上げる可能性のある方などはぜひ一読してみてください。

2013年1月27日 (日)

橋下徹氏の出自で考える『部落民』という定義の曖昧さ

弁護士でテレビタレントを勤め、大阪府知事、大阪市長など政界で活躍している橋下徹氏。彼はたびたび出自を取り上げられます。Wikipediaによれば、どうも彼の父親が被差別部落出身者であることは間違いないようです。また、被差別部落にある府営住宅に居住歴があります。しかし、橋下徹氏はたびたび自身を「同和ではない」と発言しています。

筆者は、この問題が、現代における部落民という認識の曖昧さ、困難さを代表していると感じています。

筆者の両親は、両者とも被差別部落の出身です。よって、筆者は部落民であると言えます。
両親が部落民である場合、ほぼ確実にその子どもは部落民であると判断されるのです。これについては誰も異論がないかと思います。

では、片方の親が部落民だった場合はどうするのでしょうか?
日本の伝統的な家庭では、父親が一家の長であり、父親の家系が子の家系です。ただし女性しか子どものいない家庭もありますから、婿入りという制度もあります。
ですから、一般的には、被差別部落の家庭に嫁入りもしくは婿入りした場合、子どもは部落民だと判断されます。

その逆、つまり被差別部落民が一般の家庭に嫁入りないし婿入りした場合はどうでしょうか。
結論から言うと、大抵の場合、一般家庭に被差別部落民が嫁入りしても、その家庭は一般家庭のままです。婿入りの例は、筆者は聞いたことがないので判断しかねますが・・・
ただし、嫁入りしても舅や姑から差別を受けたり、子どもが親戚から「半分部落の血が流れている」などと中傷される例が後を絶たちません。

このように、被差別部落民であるかどうかを判断する際には家長制度が非常に重要な要素になっています。

では、橋下徹氏のような場合はどうすべきでしょうか。
Wikipediaなど複数の情報によれば、彼の父親は被差別部落出身ですが、彼と父親はずっと別居状態で、橋下徹氏には父親の記憶がほとんどないとされています。

家長制度の原理から判断すれば、家長である父親が被差別部落出身ですから、橋下徹氏は部落民だということになります。
しかし、橋下徹氏の両親はずっと別居状態であり、このことから橋下徹氏は、自分は父親と関係がないとし、「同和ではない」と主張しています。

これが一番の問題なのです。家長制度が実質的に機能しなくなった日本では、本人が「同和でない」と言えば、誰もそれに反論できないのです。

そもそも、部落民という定義は曖昧なのです。かつては被差別部落に居住し、結婚相手は必ず部落民どうしでした。ですから、わざわざ被差別部落民の定義を作る必要はありませんでした。近代、現代と時が進むにつれて、被差別部落民と被差別部落外での結婚が増えました。同時に、かつては余程の事件がなければ起こらなかった離婚も、当然のように行われ、被差別部落民を定義することは今、極めて難しくなっています。

今のところ、被差別部落民の定義を作成する動きはありません。定義ができるのは、部落差別の解消を目的とする部落解放同盟くらいですが、仮にやるとしても反対が起こることは必至でしょう。

では、一般的な観念から考察をするとどうなるでしょうか。
筆者のように、両親とも被差別部落民の人間が、「同和ではない」と言っても、全然説得力がありませんし、認められないでしょう。しかし橋下徹氏はどうでしょうか?父親は部落民、母親は部落民ではない。長期別居、本人は部落民であることを否定。現代の社会的観念においては、誰も確かな判断はできないでしょう。

こういった例の場合、判断は個人的価値観に委ねられます。
一寸前に、大阪市桜宮高校の生徒が、橋下徹氏に対して「部落民がいきんな」と発言しました。この生徒は、橋下徹氏を部落民だと判断しています。つまり、自身が否定しようが、部落の子は部落という価値観を持っているのです。このような価値観は、差別感情のいまだ消えない人々に多いと思われます。この生徒の価値観が一般的な考え方とはいえませんが、この発言は、部落差別の考え方が未だ根強く残っていることを示唆しています。

長々といろいろ書きましたが、橋下徹氏の出自について、筆者の結論は次のとおりです。
現代の、部落民という定義が曖昧な状態では、橋下徹氏を部落民だと結論づけることはできません。

これは深刻な問題です。「とにかく差別やめろ」という左翼運動をずっと引っ張ってきていながら、現状には皆目を閉じているのです。一度、部落民のアイデンティティを真剣に検討しなければ、被差別部落問題の解決は今後も困難でしょう。









島崎藤村『破戒』は差別的な作品か?

部落差別を取り扱う文学作品は色々ありますが、よく取り上げられるものに島崎藤村『破戒』があります。この小説は1906年に発行された、近代日本文学を語る上で重要な作品です。なお本記事はネタバレを含みます。

主人公の丑松は被差別部落の出身で、小学校教師ですが、父に自らの出身を絶対に明かすな、と教わっていました。しかし様々な経緯から、最後は自分で出自を明かしたあと、アメリカへ旅立ちます。

筆者はこの作品を一読しましたが、どう読んでも、被差別部落の人々を中傷するような意図は感じられませんでした。

島崎藤村は自然主義の作家です。つまり、人間社会に起こることをありのままに描くのが彼の作風です。ですから、基本的には当時の部落差別をありのままに描写しようと試みたのです。結果として『穢多村』など、今は差別的で使用してはいけない単語もたくさん出ていますが、それは当時の現状を正しく表現したものだと言えます。

ところが、当時の全国水平社は、『穢多』などの差別的な言葉はとにかく使ってはならないという立場にあり、『破戒』はたびたびやり玉にあがりました。藤村は出版後、全国水平社の活動が活発になったことを考慮し、『破戒』を「過去の作品だ」と語ったり、一部の差別的とされる単語を差し替えたりしています。

『破戒』では、被差別部落出身であることを生徒に知られた主人公・丑松は、すぐに辞意を表明します。現代ではどうでしょうか?被差別部落出身の教師はたくさんいて、人権教育に取り組んでいます。こういった過去と現代の違いを知るという意味で、『破戒』は貴重な作品だと筆者は考えます。

過去の部落差別は悲惨なものであり、少しでも改善するため、是が非でも『穢多』などの言葉を使わせないという判断に至ったことを責める権利は、筆者にはありません。しかし時代は変わりました。読んでみれば誰でもわかると思うのですが、藤村はあくまで当時の現状をありのままに描いたのであり、差別の意志は見えません。
『破戒』は、差別的な用語が載っているからといって否定するのではなく、自然主義の優れた作品として、正当な評価をされるべきです。

『ニコイチ住宅』とは?被差別部落の公営住宅

同和対策事業により、被差別部落には大量の公営住宅が建設されました。家を新築する資本のない被差別部落の住民は、ほとんどがこの公営住宅に入居しました。結果、居住環境はかなり改善され、被差別部落の経済力改善に大きな効果をもたらしました。

被差別部落の公営住宅はほとんどが市町村運営です。県営もいくつかはあると記憶していますが、国営は聞いたことがありません。
どのような住宅であるかは地域によって様々です。同じ市町村でも地域ごとに違う建物があるくらいです。同じ地域ならば、建物はほとんど同じかと思います。

公営住宅はおおまかに分けてニタイプあります。一つはアパート型で、もうひとつは一戸建て型です。

アパート型の建物は、一般的な公営住宅と同じです。雇用促進住宅とか六十年代の新興住宅地にある公営住宅と同様です。ただ被差別部落はそんなに人口密度が高くないので、アパート型はほとんどが二階建てで、一階建ても珍しくありません。

一戸建て型の建物は、二戸一住宅とも呼ばれ、アパート型が一般的な公営住宅と同様の建物なのに対し、こちらは被差別部落特有のものだと言われています。ただし被差別部落でない地域にも二戸一住宅の目撃例はいくつもあります。
『二戸一』は、『二戸で一つ』という意味です。大抵の場合、二階建てで車が一台入る程度の庭がついています。この二戸一住宅は二戸ずつペアで隣り合っていて、二つの家を結ぶ通路があります。この通路を開放すれば二戸を一戸として使うことができ、閉鎖すれば一戸ずつの住宅になります。これが二戸一住宅と呼ばれる所以です。

二戸一住宅に対する評価はいろいろあります。被差別部落は子沢山だったり、三世代異常同居していることが多く、大家族で住みたいという要望に答えた効率的な住宅である、という意見があれば、大きな住宅を作らなかった自治体の手抜きだ、という意見もあります。

二戸一住宅は時折、被差別部落の特定に利用されます。二戸一住宅のある地域は被差別部落だ、と判断するのです。ただし、前述のとおり被差別部落でない地域にも二戸一住宅は存在するので、二戸一住宅の有無で被差別部落かどうかを安易に判断するのは誤りです。

被差別部落の公営住宅は「同和住宅」とも呼ばれ、、建造されて間もないころは被差別部落の住民しか入居できませんでした。しかし時が立つにつれ、入居していた住民が家を新築したり、少子高齢化による過疎などで空家が増えました。現在では、ほとんどの公営住宅が、被差別部落外の人間でも入居を認めています。

以上が、被差別部落の公営住宅の概要です。この公営住宅は前述の被差別部落特定や空家の増加、被差別部落外の住民入居など、様々な問題が起こっています。具体的な問題例については、また別の記事で書こうと思います。

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